塩爺ぃの自己紹介

塩爺ぃのトンデモちゃん

笹谷達朗(塩爺ぃ)の自己紹介は、ご塩社のホームページより

oldsaite 目次 塩爺ぃの総合サイトマップ お塩ちゃんねる通信 By笹谷達朗

お塩の大切さを伝える為に

小冊子 テキスト自然塩 読んでお塩の追求を始める

30年ほど前、闘病家の師匠からお塩の大切さを教えて頂いた。
それがきっかけでお塩について調べ始めた。1998年ころ、東京ビックサイトで開催された健康博覧会で出会った一冊の本の内容が、目からうろこだった。その本『テキスト自然塩』を、配っていたのは、伯方の塩の松本氏だった。お塩について学ぶには、ショッキングで十分すぎる内容の本だった。

松本氏は、自然塩の先駆者西本友康氏に師事し、1970年春ころより、 塩田塩の存続運動を提唱・発起を展開。 l973年「伯方塩業㈱」を設立。専務取締役に就任。
自然塩Γ伯方の塩」の普及を目指し、
日本全国・世界各国でエネルギソシュに活躍した。

『ご塩者』ごえんじゃ誕生!

テキスト自然塩』を読んで、お塩の大切さを知り、お塩に疑問を持ち、
本当の塩、本来の塩、理想の塩とはどのようなものだろうか?と
考えるようになりました。
そうこうしているうちに、東京で小さなレンタルオフィスを借りて、
一般的になり始めたインターネットで、サイト構築に取り掛かりました。
その時は、ただ、ただ、お塩の大切さを訴えて、
ホームページ作成を行った記憶があります。

『ご塩者』ごえんじゃ誕生!

天日海塩750が誕生

それがきっかけで2000年に、沖縄で、理にかなったお塩を生産する
お塩職人さんと出会いました。そして、理想的なお塩を造られているのが、
「何故、沖縄なのか?」がわかりました。
2002年には、お塩の輸入自由化が実施され、
様々な家庭用食塩が輸入されるようになりました。
選択の自由は与えられた反面、あまりにも、お塩について、
認識不足のため、様々な弊害が予測されます。
2005年ころ、あいにく、私が、お塩を作るわけにもいかないため、
お塩の生産者にお願いして、
自分のブランド「天日海塩750g」を作ることができました。

ふるさと 夕張

 2006年6月「夕張財政破綻宣言」直後、
ふるさと夕張に、夕張支援事業主第一号として、ご塩社の事務所を夕張本町に開設。
ご塩社では、2007年4月、注目される統一地方選挙を興味を持ちながら、
「小さなことでもいい、夕張で何かをやる」という強い意志のもと、
夕張再建セット企画(夕張にあるものを集めてギフトにしたもの)を考案し、
販売を開始しました。夕張市役所 夕張市長 夕張商工会議所に
協力をいただく約束を取り付けていましたが、イザ、ふたを開けてみれば、
夕張の生産品を集めたにもかかわらず、そっちのけでした。
夕張公設市場を運営している夕張友酉市場だけは、積極的に取り上げてくれました。

いよいよ おむすび屋さん 夕張店 開店。

おむすび屋さん 夕張店 2007年~2012年 プロヂュースBy笹谷達朗 ご塩社

夕張再建セット企画がきっかけで、国道274号線沿いにある紅葉山に
ある夕張メロンの直売所でおむすび屋さんを開店することができました。
このおむすび屋さんで、商売の多くを学びました。
お客様が、小さなお店を育ててくれました。
あいにく、2012年の秋をもって完全に閉店しました。
おいしい生のお塩が、おむすびの味を引き立てています。

2009年JR北海道ゆうばり駅内に、「ルーチェ・ソラーレ」をオープンし、
「生の塩で旬をおいしく」をテーマに「500円ランチバイキング」を企画しました
2011年東日本大震災をきっかけに、福島の原発事故の影響を考え、
大好評であったルーチェ・ソラーレ「500円ランチバイキング」は、
「食材の安全の信憑性」を持ち、「食を売ることは加害者になる」可能性があるために、
名物の役割を終えました 。2013年末、「ルーチェ・ソラーレ」を閉店。

ご塩社夕張は、「お塩屋さん ゆうばり」を運営しております。
2002年専売法の廃止に伴い、お塩の輸入自由化が実施され、
お塩の選択が自由にできるようになりました。ミレニアム2000年に、
ご塩社オリジナル 生の塩「天日海塩750」をブランド化しました。
ご塩社は、約30年間、お塩の大切さを発信しています。

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